税込価格:1320円
この商品を買う 問い合わせる
※在庫状況についてのご注意。

内容詳細

60年以上教育に携わったシスター山路の生徒たちとの思い出話から「教育」の大切さを語る。

在庫表示は概要となります。詳しくは「問い合わせる」ボタンから直接出版部にお問い合わせください。

書評

「ほんとうのおとな」に人を育てる教育

小澤優子

明日へのかけ橋
シスター山路のお話から考えたこと

渡辺和子

この本は、長年にわたってミッションスクールの小学校長を勤めた一修道女が、折にふれ、子どもたちについて話した内容が記された部分と、その話に触発されて書いた一女性のエッセイの部分をもって構成されている。
今や古典的名著になっている『星の王子さま』の巻頭文中に、サン=テグジュペリは書いている。「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもない)」
『明日へのかけ橋』は、まさにこの、「大人が忘れてしまったこと」を、思い出させてくれる本である。そこには、子どもの純粋なまなざしと、その子ども一人ひとりに愛と尊敬と信頼を持って接し続けた大人の姿が描かれている。
一見“何でもないような”話が、教養、文化ともに豊かな一女性によって、大人の世界に移され、物質的豊かさの中に幸せを見出すことに追われて、心の豊かさの追求を忘れている“幼稚な”日本人に、考えなければならない大切なことを想起させるのだ。
小学校で起きた一つの話、「お金が本物になる」は、子どもの中にある善さ、妥協しない純粋さを表わしている。
ある日のこと、小学一年生の女子児童は、お祈りをして、「いただきます」とお弁当を開けたとたんに、蓋を閉じて大声で泣きだした。「これ、食べられません」と言う。その日はチャリティーデーといって、おかず無しの日であったのに、母親がそのことを忘れて、おかずを入れていたのだった。
教師が、「あなたは、さっき、ちゃんとチャリティーの箱にお金を入れたから大丈夫。食べなさい」と言う。
「駄目。チャリティーの日はご飯だけだから、バス降りておうちまで歩くときフラフラしちゃうの、お腹が空いて。そしたら、お金が本物になる。いま食べちゃったら駄目よ」
お金を箱に入れるだけがチャリティーでないこと、おなかがへって、フラフラしてこそ、そのお金が本物になるという、愛の本質を、この六歳の少女は、しっかりわかっていたのだ。それに比べて、なんと“にせもの”のお金が横行していることだろう。まさに大人は、忘れものをしているのだ。
小澤優子氏は、このエピソードに続く自分のエッセイの中で、妥協しない、まっすぐな子どもの言葉は、目に見える「形」より、もっと大切な、目に見えない「心」「痛む愛」があることを思い出させてくれ、人生をありのままの姿でなく、「あるべき姿」で見ることの重要さを指摘するものだと語っている。
保育所の数を増やすこと、待機児童の数を減らすこと、子ども手当てを支給し、将来の税収確保のため少子化をくいとめること、これら行政の施策のみが論じられているが、そのために使われるお金は、果たして「本物」なのだろうか。本物にするためには、どうしたらよいのかと、読者は考えることだろう。
『ブンナよ 木から降りてこい』を、国連加盟三十周年の記念映画としてプロデュースし、その他、数多くの文化交流を企画、国際的にもその功績を認められている小澤氏のエッセイは、読みごたえがあり、考えさせるものを豊かに蔵している。エッセイの中に引用し、また、その末尾に記された聖書の言葉は、選び抜かれた的確なものである。
人間形成にあたっての小学校教育の重要性を信じ、謙虚さとともに、強い教育理念をもって、六十余年を子どもたちと過ごしたシスター山路鎮子の話と呼応して、見事な連繋プレーがこの本を魅力あるものにしている。
「いつまでも子どもごころを失わずにいるおとなこそ、ほんとうのおとなである」と『星の王子さま』の訳者は述べている。
『明日へのかけ橋』という本は、ほんとうのおとなである二人の女性が、ほんとうのおとなに子どもを育てる教育とは、どういうものかを記した貴重な本と言えよう。教育に関心のあるすべての人が、手にしてほしい本である。
(わたなべ・かずこ=ノートルダム清心学園理事長)
(四六判・一七二頁・定価一二六〇円[税込]・教文館)
『本のひろば』(2010年9月号)より