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内容詳細

詩編の真髄を味わうために

詩編は「慰めと希望の書」である。私たちは詩編のどこかに自分の祈りを見いだし、折々の痛みや悲しみ、喜びや感謝に出会うことができる。本書は詩編 1竏驤€50編を一編ずつひもとくことによって、詩人たちの心に触れ、神への新しい賛美へと読者を導く。

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書評

詩編に学び、祈りを共にするための敬虔な講解

黒木安信著

新しい歌を主に

詩編に聞くⅠ

 

木田献一

 本書は、長い牧会の生活を踏まえて、円熟した牧者がまとめた、「詩編」の全体に及ぶ敬虔な講解を試みた書物です。

 この書の表題には、この書は全体として三冊となる書の第一巻であることが示されています。言い換えれば、この第一巻には「詩編」全体についての概説的な導入部分を用意し、さらに、旧約および新約の全体にわたって、主要な節目には、詩歌による賛美や哀歌が散りばめられていることにも注目して、例えば、旧約聖書の中には、出エジプトの物語の中には「海の歌」が、出エジプト記の一五章に歌われていること、またダビデが、イスラエルの王サウルとその子であり、ダビデの親友でもあったヨナタンがギルボア山で戦死したことを知らされた時に歌った哀悼の歌「弓」(サムエル下一・一七―二七)などについても言及して、「詩編」以外の物語の中で歌われている感銘深い詩歌にも注意を喚起していますが、さらに新約聖書についても、「マリアの賛歌」(ルカ一・四六―五六)、「ザカリアの賛歌」(ルカ一・六七―七九)、「シメオンの賛歌」(ルカ一・二九―三二)などにも言及しています。

 このように、旧約から新約に及ぶ物語の中に散りばめられている詩歌の意味について、全体を見通せるような解説を施した後で、次に、近代の旧約学の歴史の中でH・グンケルなどが唱導した、「詩編」の文体的・様式史的な研究に言及しています。

 この項目は、詩編の全体に対する概説の中で二つ目の項目となっている「詩編の類型」というテーマの下にまとめられています。

 グンケルが詩編の主要な類型としてまとめたのは、次のような五つの項目の下に示されています。

 一、「賛美の歌」。二、「民族の嘆きの歌」。三、「王の詩編」。四、「個人の嘆きの歌」。五、「個人の感謝の歌」ですが、その中で最も重要なのは、「賛美の歌」、「嘆きの歌」であることが指摘され、それぞれについて、解り易い解説が与えられていますので、少していねいに例として引用されている詩編の数編を読み進めると、詩編全体の理解を随分と深めることができると思います。

 概説の部分の最後の二項目は、三、「詩編の真髄」と四、「詩編の成立」ですが、三の項目では、詩編は「旧約聖書の中心部」をなすものとして、旧約聖書全体の神学を要約しているというG・A・F・ナイトの言葉を引用しておられますが、著者自身は、「詩編の中心は、何といっても『祈り』で、神に対するイスラエルの応答として生み出されたものである」と主張しておられます。

 これを更に敷衍して現代風に表現すれば、詩編は信徒の一人一人にとって、神に訴え求めて、一人一人の人間としての責任を果たしうるために必要とされる力を神から受けるための最も心に深くひそむ力の源泉であり、また、教会としての公同の責任を、教会が担い、神の召命に応えて神の愛と力をこの世に向かって伝えて行くための唯一、最大のチャンネルとして与えられている道であることを意味しています。

 現代における世界の現実を見れば見るほどに、個人にとっても教会にとっても、祈りによって神の救いを願い求める外に、われわれにとって真の希望を取り戻す道はないということは明白であるという認識において、一人一人が立てられ、そして教会にその力が与えられることを共に祈る。

 われわれは、このような祈りを、更めて「詩編」の祈りの中から回復し、新しい希望を与えられて進まねばなりません。

 そのために、われわれは「新しい歌」を与えられたい。詩編に聞くことによって「新しい歌を主に」歌うために、われわれはこの書に学び、祈りを共にしたいと思うのです。

(きだ・けんいち=元山梨英和学院院長)

(B6判・二五二頁・定価一八九〇円〔税込〕・教文館)

『本のひろば』(2012年2月号)より