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内容詳細

19世紀のオランダで、神学者、教育者、そして政治家としても活躍したアブラハム・カイパー。古典的名著『カルヴィニズム』を著し、信仰を個人的・内面的に捉えるのみならず、その社会的・公共的意味を問うた彼の思想から、21世紀を生きる私たちの信仰と生き方を考える。

 

【「日本の読者へ」より】

「カイパーは政治的指導者であり、創造力溢れる神学者であり、教会の働き人であり、大学の創設者であり、そして優れた批評家としての経歴は際立っていました。そして彼は、心躍るような聖書的『世界観と人生観』の考察を行いました。この『世界観と人生観』は、私たちが生活の中で直面する複雑なすべての局面を、神が人間の生活に対して持っておられるビジョンと、どのようにして結びつければよいのかを理解する助けとなります」。

 

【目次】
日本の読者へ

はじめに

 

第1章 カイパーの神学と文化─概 観

 

カイパーのカルヴァン主義

「地を満たす」

多様であることは素晴らしい

領 域

文化の「運河とせき止め湖」

カイパーの政治的な「位置づけ」

第三の道 聖書における領域とは?

政治と創造 教会の立場

宗教的反定立

神の「素晴らしい贈り物」

 

第2章 二一世紀におけるカイパー

カイパー主義の現代的刷新

人 種─もう一つの加えられた「新」

福音主義のためのカイパー

世界の見方

鐘はまだ鳴っているか?

教会の役割の強化

文化的忍耐の涵養

「キリスト教世界」を超えて

領域が「縮小する」時

イスラームからの挑戦

「十字架のもと」のカイパー主義

訳者あとがき

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書評

敬虔さと社会的実践の両立に向けて

R・マウ著

稲垣久和、岩田三枝子訳

アブラハム・カイパー入門

キリスト教世界観・人生観への手引き

 

田上雅徳

 公的領域への参与と敬虔さとは両立可能なのだろうか。この古くからの難問に対して、一つの回答を与えているのが本書である。著者は、アメリカ福音派の知的センターともいえるフラー神学校で校長職にあるリチャード・マウ。

 タイトルから明らかなとおり、本書が扱うのは、一九世紀後半から二〇世紀はじめにかけてのオランダで、牧師・神学者・教育家・ジャーナリスト・政治家として活躍し、最後は首相をも勤めたアブラハム・カイパーである。そのカイパーに一九六〇年代、私的な事柄を強調する福音派の立場と、セキュラーなトーンが強いリベラルなプロテスタントの立場という「両極端を避けつつ、しかし公共の世界に行動的に関わっていく姿勢」を求めて彷徨していた若きマウは、書物を通じて出会い、彼を自身の導き手として仰ぐようになる。

 そんなカイパーの思想を概観するのが、二章から成る本書の前半部である。そこでの内容は、「領域」「反定立」「共通(一般)恩恵」という三つのキーワードを用いて要約できよう。

 カイパーによれば、神の世界創造に由来する文化的・社会的諸「領域」というものが存在しており、それらは、信仰の有無という点で互いに相容れない「反定立」の関係にある二種類の人びとのうち、贖われ再生したキリスト者によって正しく認識される。ただし、だからといってキリスト者の独善が許されるわけではない。非キリスト者による文化的・社会的営為への貢献も正当に評価する「共通恩恵」を意識することで、キリスト者は積極的かつ謙虚に公的領域へ関わっていくよう促されるのである。

 しかも、こうした世界観は単なる机上の空論ではなかった。首相カイパーは、イデオロギー的に齟齬をきたす党派との連携を「共通恩恵」論でもって、また、他の党派との対立局面を「反定立」論をもって、それぞれ正当化したという。

 そうしたカイパーの思想は、今日いかなる可能性を有しているのか。それを、本書の後半をなす第二章は論じる。

 そこでは、イスラーム世界やキリスト教ペンテコステ派との折衝、市民社会の維持発展に必要な民間セクターの形成といった論点が取り扱われるが、マウは、これらの現代的なイッシューにもカイパーの思想は肯定的に対応可能だ、とする。カイパー主義の核となるのは、社会における多様性の擁護にあるからである。キリストの主権が及ばない領域は現世にあって「一インチ四方さえも」存在しない、というカイパーと本書のモットーは、このような公的ビジョンを帰結してゆくこととなる。

 ところで、以上の所論は、カイパーの著作を繙いたことのある読者なら、常識の部類に属するものかもしれない。しかし、本書を従来の議論から区別しているものがあるとすれば、それは、各「領域」に自律性を付与し、また各「領域」がその最終的な主権を告白すべきイエス・キリストへの言及であろう。

 キリスト教的世界観を持つことは、直面した問題に対する「解答の一セット」を所持することではない。そうマウは述べる。また彼は「公共の生活に参与するカイパー主義者の動機は、今ここで公正の戦いに勝つことではありません」ともいう。勝利者イエスは世の現状を悲しみ、傷ついた被造物を救うために世に到来した方である。このことを認識することが現代にあってイエスの主権に仕えることだ、とマウは本書の最後で断じる。

 そんなマイルドな姿勢で社会的実践を貫けるのか、との意見もあろう。しかし、これまでのカイパー論に欠けていたのは、こうしたキリスト論的な視点ではなかったか。何より、このオランダの巨人は、十字架を深く思い巡らす人でもあったのである。

 訳語の選択に疑問を覚える個所も散見されたが、カイパーが紛うことなく「キリスト」教に立脚する思想家だったことを再確認させてくれた訳者たちの労に衷心より感謝申し上げたい。

(たのうえ・まさなる=慶応義塾大学法学部教授)

(四六判・一八二頁・一八九〇円〔税込〕・教文館)

『本のひろば』(2012年11月号)よりツꀀ