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内容詳細

「キリスト教の第二の創始者」(ヒエロニュムス)と呼ばれ、西洋思想に広く影響を与えたアウグスティヌス。

アウグスティヌスの完成期の神学思想は、ペラギウス派やドナトゥス派を論駁することによって形成された。本書にはその論点ともなった恩恵論とサクラメント論をめぐる著作を中心に収録。主著『告白録』『神の国』『三位一体』と共に、アウグスティヌスの神学思想を理解する上で不可欠の書。   〈収録作品〉 エンキリディオン――信仰・希望・愛 霊と文字 自然と恩恵 キリストの恩恵と原罪(全二巻) 恩恵と自由意志 聖徒の予定 ドナティストの矯正   訳者紹介

金子晴勇(かねこ・はるお) 1932 年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。現在、岡山大学名誉教授、聖学院大学総合研究所名誉教授。 小池三郎(こいけ・さぶろう) 1934 年生まれ。1966 年、京都大学大学院博士課程修了。京都産業大学名誉教授。2006 年逝去。
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書評

片柳榮一

慈愛の眼差しとしての恩恵

 本書はアウグスティヌスの恩恵論を中心にした神学的著作の代表的なもの(大部分はすでに『アウグスティヌス著作集』に訳出されている)を集めたものである。これらを読み返して、人間的自由についてのアウグスティヌスの洞察の透徹した深さと、様々な仕方で心に触れてくる憐れみの呼びかけとしての恩恵経験の生き生きとした豊かさをあらためて思わされた。
 アウグスティヌスが論争の相手とするペラギウス(および彼に従う人々)の自由の考え方は、或る意味できわめて真っ当で、尊重されるべきものである。それは、人間を人間として他の生き物からまさに区別する責任能力としての自由の擁護である。しかも経験的事実の問題としてではなく、人間存在そのものの構造に由来する可能性の問題としてペラギウスは主張する。「罪を犯さない能力そのものは〔自由な〕決断の力のうちにあるというよりも、むしろ自然の必然性のうちにある。自然の必然性のうちに置かれているものはすべて、自然の創始者に、つまり神に所属していることは疑いの余地がない。それゆえ──彼は主張する──本来神に所属していることが知れ渡っているものが、神の恩恵なしに語られるとどうしてみなされようか」(『自然と恩恵』の第五一章、二九一頁)。ペラギウスにとって恩恵とは、罪を犯さないことが出来るように人間が創造されていることである。アウグスティヌスも神が人間を罪を犯さないことができるように創造されたことは否定しない。問題は「善を意志することは備わっていても、善を実行することは備わっていない」(ロマ七・一八)という人間の現実であり、この意志の無力さをペラギウスが直視していないことである。
 しかしアウグスティヌスが人間の現実として見ている無力さは、単に律法の命ずることを行うことができないということではない。そうではなく内面の自発性(カント的には道徳性)が問われている。「もしこの戒めが義に対する愛によらず、罰に対する恐怖によってなされるのなら、奴隷的に行なわれるのであって、自由に行なわれるのではない。したがって行なわれることはまったくない。なぜなら愛の根から生じているのではない実は善でないから」(一五七―一五八頁)である。真に自発的な愛をもっては行いえないという現実がアウグスティヌスには決定的な問題なのである。
 このような無力の現実の中で、アウグスティヌスは恩恵の助けを説くのであるが、この恩恵は、人間の主体的意志を無視して、いわば人間を操り人形のように動かす恩恵ではない。応答を促す呼びかけを通して働く恩恵である。アウグスティヌスは決して恩恵を、人間の意志に関係なく、いわば血管に流し込まれるエネルギー源のように、物質的に考えているのではない。そのことを極めて印象深く述べている箇所が『キリストの恩恵と原罪』第一巻四五章にある。悔い改めがどのように起こるか(恩恵が如何に働くか)の例を、ペトロに対する主の眼差しに求め、しかもルカ伝の記述をそのまま外的な事実としては受け取らず、大胆にペトロの心の内への働きかけとして捉えている。「使徒ペトロは、外にいて、下の大広間で召使とともに火にあたって座ったり立ったりしていた。それゆえ主が肉体の目でもって目に見える仕方で彼に注目して振り向かれるということはできなかった。また、それゆえに、「主が振り向いて彼を見つめられた」(ルカ二二・六一)とそこに記されていることは、内面において生じ、精神において起こり、意志において生起しているのである。主は憐れみをもって隠された仕方で彼を助けに来たり、心に触れ、記憶を呼び戻し、内なる恩恵でもってペトロを訪ね、内なる人の情意を外的な涙にまで動かし促進させたもう」(三八三頁)。この心の内へのキリストの愛の眼差しこそ、アウグスティヌスが経験する恩恵である。

(かたやなぎ・えいいち=聖学院大学教授)

『本のひろば』(2015年2月号)より