税込価格:1980円
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内容詳細

雅歌はわずか8章から成るものの、多くの謎と魅力に溢れた独特な文書である。単に世俗的な恋愛歌の集成であるとの見解に留まらず、伝統的な「寓喩的解釈」の必然性も問いながら、テキストを注意深く追いかける。「愛」の思想の展開をテーマに雅歌を読み解く格好の入門書。

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書評

真摯に学生に語りかける雅歌入門

佐々木勝彦著

愛は死のように強く
雅歌の宇宙

土井健司

 濃い乳白色の扉を開けると、教室には学生が男女五十人ほど、ひとまとまりになることなくバラバラに、また緊張することもなく雑談かなにかをしながら席についている。一種独特の雰囲気が漂う。扉のところからコツコツと教卓まで進んでいくと、もう後戻りもできず、教師として学生と向かい合うことになる。「学生」と言っても千差万別で、背筋を伸ばしている学生もいる一方で、携帯でメールする者、飲み物を机上に置く者、突っ伏している者、果てはお客さん気取りの者もいたりする。どうすればわたしの講義は、この学生たちに受けいれられるのだろうか。
 佐々木勝彦氏の新著『愛は死のように強く――雅歌の宇宙』は、もしかするとこのような雰囲気のなかで講義することから生まれたものかもしれない。もっとも「あとがき」には教職課程の学生を対象としたとあるから、もっと真面目な学生だったようにも思われる。しかしいま記したのは、今日大学でキリスト教を教える立場の人間であれば誰しもが目にし、経験する想いであろう。
 本書は、『雅歌』を講読するものであるが、今日の聖書学から少し離れ、歴史学でも文芸批評でもなく、もっと豊かに『雅歌』を論じようとする。その辺りのことは第一部「『雅歌』を問う」に詳しい。おそらくそうでないと受講生に通じないからだろう。聖書学の成果に対して「それだけですか」とのつぶやきは(一一頁、一二頁)、むしろ受講生の言葉として受け止めるべきである。
 第一部で著者はさまざまな先行文献(榊原康夫、ゴルヴィッツァー、ジェンソン)を参照し紹介しつつ『雅歌』を論じていくが、まずは『雅歌』を愛の成熟過程として読む。また、ここでは正典としての聖書というものを大切にする姿勢、とくに文書間の順序・時間に着目して論じる視点も見られる。
 さらにゴルヴィッツァーを手がかりに『雅歌』を神の愛と人間の愛の二つの愛が響きあい、浸透するものとしても捉える。エロースとアガペーの対比の中で、人間には神のアガペーが必要であり、そしてその神のアガペーが浸透したエロースが愛の完成だという。それは決して精神的なだけの愛ではなく、肉体的で性的なものを含むが、しかし自己中心的にならない利他的なアガペーが浸透することで、他者の善においてはじめて自己の善も完成するという意味においていわば昇華したエロースである。文章は読みやすく、現代の若者に語りかける著者の姿が想像される。
 『雅歌』をこのように理解するもとには、その言葉を寓意的に解釈することがある。そこで著者は『雅歌』を読むための寓意的解釈、アレゴリカル解釈をさらに深く学ぼうとその歴史的事例を読んで紹介していく。オリゲネス(三世紀)、ニュッサのグレゴリオス(四世紀)、そしてベルナルドゥス(一二世紀)の『雅歌』に関する文書を取り上げて人物を紹介し、主要テキストを抜粋し、そしてそれについて丁寧に解説し(第二部)、さらに最後第三部では、「愛」を主題にパウロのテキストを丁寧に論じる。オリゲネスやニュッサのグレゴリオスは評者が専門とするところであり、翻訳によってであっても、もちろん本書とともに、ぜひ多くの方に読んでもらいたい文献である。
 さて、教室で著者が教師として学生に「できること」は何かを自ら問うた結果たどりついたものは何か。それは「自分でテキスト(本文)を読むことから生まれる自信」(二五二頁)であったという。評者も同感である。学生が自分で読んで、問いつつ調べ、考えて自分なりの意味をものにする、大学教育の原点とも言うべきものだが、やはりこれ以外にはないだろう。本書における著者の姿勢についても大いに共感を覚えた。
(どい・けんじ=関西学院大学教授)
(四六判・二五六頁・定価一八九〇円〔税込〕・教文館)
『本のひろば』(2011年1月号)より