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内容詳細

宣教師たちが日本にもたらしたキリスト教とはどのようなものであったのか? また日本人はそれをどのように受容したのか? 国家の宗教政策に対して各教派・宣教団体はどう対応したのか? 明治期キリスト教の特質と宣教師の活動の歩みを、正教会、カトリック、プロテスタント諸教派にわたり網羅した初めての研究。

2011 年9 月に開催されたキリスト教史学会大会におけるシンポジウムの書籍化。

 

巻頭言(大西晴樹)

序 章 明治キリスト教史における受容と変容(岡部一興)

第一章 正教会(近藤喜重郎)

第二章 カトリック教会(山崎渾子)

第三章 聖公会(大江 満)

第四章 改革・長老教会(中島耕二)

第五章 組合教会(吉田 亮)

第六章 ディサイプルス教会(阿久戸光晴)

あとがき(原島 正)

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書評

各教派の宣教の歴史を網羅した多彩な内容

太田愛人

本書は二〇一一年九月、聖学院大学で開催されたキリスト教史学会における三時間半に及ぶシンポジウムを一書に編集したもので、明治時代に活動した宣教師の軌跡が如何に日本人に受容、変容されていったかを紹介する。

内容は多彩で「序章 明治キリスト教史における受容と変容」(岡部一興)、「第一章 正教会」(近藤喜重郎)、「第二章 カトリック教会」(山崎渾子)、「第三章 聖公会」(大江満)、「第四章 改革・長老教会」(中島耕二)、「第五章 組合教会」(吉田亮)、「第六章 ディサイプルス教会」(阿久戸光晴)に「巻頭言」(大西晴樹)と「あとがき」(原島正)が付く。特徴として各派における宣教師の人と働きが紹介され、従来、宣教師たちの功績を讃える文章になりがちなのを、人物よりも働きに焦点が向けられる。今まで未知のままになっていた領域に、新しい資料発掘に基づいた研究に拠りつつ明治史への関心を向けさせる啓蒙の書といえる。発題者は戦後生まれの気鋭の研究者たちである。

「受容と変容」の題は適切な指標であった。夏目漱石の「内発と外発」の日本開化論が、キリスト教史において考えられるからで、信仰について考察するとき、宣教師という媒体があったことを無視しえない。岡部論文では各派に共通する問題点をあげ、受容に伴う「安寧秩序を妨げない」「臣民の義務に背かない」枠内の伝道に宣教師の苦心があったことを紹介して明治史の特殊性を指摘する。

明治の正教会の伝道は初期からニコライに依存していたが、そのカリスマに言及するよりも正教独自の試錬、日露戦争やロシア革命による変容も紹介して質疑応答において数多くの回答を介して対国家の意見を述べ、正教理解を進めていることが注目される。

カトリックの場合、維新前の長い布教の歴史があり、その普遍性や対国家問題を含むためプロテスタントとは異なる一面を持つ。岩倉使節の一年半の外国滞在の間、政治的な交渉にもかかわり、教皇とのつながりでプロテスタント教派との違いも述べられる。実際に同時代の浦上四番崩れが介在したため受容と変容が具体的な外交問題を誘発したことに触れる。その迫害は欧米に外交官を介して伝えられ、折から岩倉使節の米欧巡回中とあって、一行は行く先々で信仰の自由を指摘されて帰国以前に本国に切支丹禁止高札撤去の指令が受容へと新しく展開することが記されている。

聖公会の章で気付かされるのは今まで知らされることが少ないウィリアムズ司教の働きである。日英関係の歴史を背景にしたウィリアムズの底力を大著『宣教師ウイリアムズの伝道と生涯』を公刊した大江氏が、天皇と皇帝をもつ日英の特殊な関係について紹介する。

改革・長老教会の場合、大江氏の業績に並ぶ新著『近代日本の外交と宣教師』に拠りつつ従来ヘボン、ブラウン、バラの業績にかくれがちであったインブリーの働きを紹介。文部省への訓令第一二号撤回運動に駐日公使バックも巻きこんで対決し、遂には文部官僚を越えて政治家大隈、伊藤、山県との会見によって宗教教育禁止の強行を企てた文相に撤回を迫ったインブリーの実力が印象に残る。

組合教会の場合、新島のカリスマが消えた後で日本人理事教授と宣教師との相克が初期歴史に展開されるが、国権主義、リベラル神学が台頭し、綱領撤廃でボードとの対立、文部省訓令の対処をめぐる経過を詳述する。

開催校聖学院大学で、ディサイプルス教会の誕生の背景が語られる。分裂を招きがちな信仰告白をせず、毎日曜の聖餐、全浸礼、万人祭司、信徒の司会や説教の容認などである。聖学院神学部渡辺善太教授は教派遍歴後、ディサイプルス派へーギン宣教師から滝水で受浸する。その後大正九年七月、箱根の信徒研修会で渡辺と内村鑑三が旧約と新約聖書を講じる。後日、内村は渡辺を訪問してディサイプルスの教義を聴き、大正末年以降、内村は年に一度洗礼を実施、その数三六人を数えたことを思い出した。

(おおた・あいと=日本キリスト教団隠退牧師)

『本のひろば』(2013年2月号)より