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内容詳細

ルターは本当に「最初のプロテスタント」なのか?
カルヴァンの「偉大さ」と「限界」はどこにあるのか?

神学史と社会史の複合的な視点から中世後期と宗教改革の連続性を明らかにし、宗教改革研究に画期的な影響を及ぼした歴史家オーバーマンの本邦初訳書。

「私が留保するのは、一回限りの宗教改革的転回という考えはロマンティックで非現実的だと考えるからである。つまり力強い神のブルドーザーがやって来て、宗教改革への途上にあるすべてのバリケードをいっぺんに粉砕した、という考えは現実的でないということである」(本文より)

 

【目次】

編者序文(ドナルド・ワインスタイン)……………竹原創一訳

著者序文 読後焼却のこと……………木村あすか訳

第一章 嵐が発生する……………江口再起/湯川郁子訳

長い15世紀
黒死病の猛威
教皇制の支配から政治的公会議主義へ
「新しい信心」(devotio moderna)──氷山の一角
天国からのような「托鉢修道会のメッセージ」

第二章 ルターと新しい方法(via moderna)──宗教改革的転回の哲学的背景……………竹原創一訳

ルターと新しい哲学
聖トマス──致命的誤り
人格主義──聖フランチェスコの持続的遺産
異議申し立てから抵抗へ──異端審問に対する後期中世の挑戦
転回前の産みの苦しみ
ルターの基本方針──四つの根本的主題の組み合わせ

第三章 マルティン・ルター──獅子の洞窟の中の修道士……………村上みか訳

宗教改革的転回後の障壁
命を得るための拘束は一生の無知を意味する──修道誓願
聖なる道──聖アントニオスから聖フランチェスコへ
聖書を開け放て──聖書のみ

第4章 宗教改革──終末、現代、未来……………菱刈晃夫訳

新しい方法対古い方法
終末から現代へ

第5章 ルターからヒトラーへ……………宮庄哲夫訳

第6章 宗教改革時代の聖画像をめぐる論争……………鈴木 浩訳

現代の研究の殿堂に生じたひび割れ
ルター──教会がそれによって立ちもし、倒れもする争点
聖画像から偶像へ──バアルとしての反キリスト
街頭に戻って──継続された聖画像論争

第7章 歴史的カルヴァンの回復を目指して……………久米あつみ訳

歴史的カルヴァンの消失

第8章 ヨーロッパ宗教改革の新たな見取り図……………竹下和亮訳

第9章 最前線──亡命者たちの宗教改革……………竹下和亮訳

第10章 カルヴァンの遺産──その偉大さと限界……………野村 信/田上雅徳/鈴木昇司訳

カルヴァンの生涯における主要な出来事
公同教会の教父──世界全体のための包括的真理
カルヴァンを覆い隠すもの
カルヴァン──栄誉と忘却と中傷と

解説……………金子晴勇
訳者あとがき……………竹原創一/野村 信
事項索引
人名索引

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書評

中世と宗教改革はどのようにつながるのか?

芳賀力

 本書は『中世神学の秋』をもって学会デヴューを果たしたオランダの歴史神学者ハイコ・オーバーマンの遺作である。専門的な学術研究書というより、生涯をかけて宗教改革の歴史を見つめ続けてきた碩学の総括的評論と言うに近い。彼はオックスフォード、ユトレヒトで学び、ハーヴァードで教えながら研究生活を送った。それは彼に、宗教改革の舞台を外から冷静に眺める視点を与えたことを意味する。独自の視点をつかんだ後、テュービンゲンの「後期中世・宗教改革研究所」所長に迎えられる。彼はその時の意気込みを振り返ってこう語る。「いよいよ私は文書資料を携えてテュービンゲンへと乗り込んでいった」(一三四頁)。独自の視点とは、宗教改革が中世の思想に深く負っているという連続性の発見であった。

 ともするとルターは中世から近代へと歯車を動かした世界史上の大人物、ドイツの生んだ英雄として称えられるが、そこにはロマンティックな理想化が見られる。それはヒトラーを歓迎する狭いナショナリズムの温床ともなった。ドイツの外に身を置いていた分、オーバーマンにはそれがよく見える。ルターが一気に改革を達成したわけではない。「力強い神のブルドーザーがやって来て、宗教改革への途上にあるすべてのバリケードをいっぺんに粉砕した、という考えは現実的でない」(九六頁)。中世後期にはすでに変化の兆しが垣間見える。

 黒死病(ペスト)の猛威は、ヨーロッパの人口三分の一の人々を死に至らしめた。この無秩序の経験は、思想の分野でノミナリズム(唯名論)の台頭を呼び起こした。普遍概念から確固とした真理命題(たとえば教皇制)を演繹する、それまで主流だった普遍実在論の「古い方法」に対し、各個の経験的現実から帰納的に真理を推論する「新しい方法」が興った。ルターはこの中世末期ノミナリズムの落とし子である。そこでは、神はもはやトマス的な至高の超越存在ではなく、歴史の中で働く動的な約束の付与者である。不安の中で新しい霊性を求める運動は各地に広まっていた。教皇制から公会議主義への動き、敬虔な「新しい信心(devotiomoderna)」運動、托鉢修道会による巡回説教運動など。一修道僧として間違いなくルターもこの流れの中にいたのである。

 オーバーマンの観察方法は『中世の秋』のホイジンガーの手法とよく似ている。神学的判断に際して社会史的、民衆史的視点をも取り込む。思想は生活の具体的な細部に宿る。通りの泥や市場の騒がしさや臭いを忘れて思想だけに向かうと、私たちは歴史のルターを見失う。実際のルターは、同胞と同じく日々の生活の厳しい現実の中に生きていた。「社会思想史の中に分け入り、泥と市場、組合会館と参事会館とを、厚みある記述に取り入れることによってのみ」(一三四頁)私たちは歴史に公平な判断を下すことができる。例えば、ルターは『修道誓願についての判断』(一五二一年)で修道誓願を否定した。しかし実際に修道服を脱いで公衆の前に立ったのは三年後の一五二四年一〇月九日だった。つまり彼は中世の修道士として逡巡しながら、カトリックの中で改革を志していたのである。

 では画然と時代を分かつに至らしめたものは何か。国際的カルヴィニズムの誕生である。これも最初からそのことが目指されたわけではない。故国からの追放と流浪という生活の条件が、国際的ネットワークを作る結果をもたらした。カルヴァン自身がそのように追放と流浪を経験した人である。そこから彼の選びと予定論の教理が生まれた。迫害の最中、信仰を貫けるかどうかは神の堅忍の恵みに懸かっている。その根拠を提供したものが予定の教理であり、それは決して冷たい教えではなかった。なおカルヴァンの聖書解釈でaccommodatioDeiは「調整」ではなく、既に定着している「適応」と訳す方が分かりやすいだろう(一四一頁)。ルターとカルヴァンの研究者たちが丹念に訳された共同作業に心から敬意を表したい。

(はが・つとむ=東京神学大学教授)

「本のひろば」(2018年2月号)より