キリスト教豆知識
キリスト教行事
キリスト教の三大行事についての解説です。日本で知られている行事も、本来の意味や成り立ちがわかると、もっと意義深いものになるかもしれません。
(降誕節)
救い主イエス・キリストの誕生を祝う記念日。英語のクリスマスは”キリストのミサ”という意味。正確な誕生日は不明で、新約聖書には書かれていない。古代ローマでは、当時盛んであった太陽神崇拝のミトラス教が、ローマ暦で冬至にあたる12月25日が「不滅の太陽神の誕生日」であった。そのことに対抗して、教会でも「キリストこそ真の正義の太陽」として、この日を「主の降誕日」として祝うようになったといわれている。4世紀の記録に12月25日に祝ったことが残されている。
*クリスマスの飾り
祭壇の前に、イエス・キリストが誕生の場面を模した「馬小屋」を飾る伝統は、アッシジの聖フランシスコから始まった。クリスマスツリーやリース、ヒイラギなどの常緑樹の飾りは、キリスト教以前のヨーロッパの冬至祭に由来し、もみの木のクリスマスツリーは17世紀以降に飾られるようになったものである。
*アドヴェント・カレンダー
クリスマスの4週前の日曜日から始まる「アドヴェント」(待降節/降臨節)に用いられる、1日ごとに番号のついた小さな扉を順番に開けながら、クリスマスが来るのを「待つ」ためのカレンダー。
(降誕節)
救い主イエス・キリストの誕生を祝う記念日。英語のクリスマスは”キリストのミサ”という意味。正確な誕生日は不明で、新約聖書には書かれていない。古代ローマでは、当時盛んであった太陽神崇拝のミトラス教が、ローマ暦で冬至にあたる12月25日が「不滅の太陽神の誕生日」であった。そのことに対抗して、教会でも「キリストこそ真の正義の太陽」として、この日を「主の降誕日」として祝うようになったといわれている。4世紀の記録に12月25日に祝ったことが残されている。
*クリスマスの飾り
祭壇の前に、イエス・キリストが誕生の場面を模した「馬小屋」を飾る伝統は、アッシジの聖フランシスコから始まった。クリスマスツリーやリース、ヒイラギなどの常緑樹の飾りは、キリスト教以前のヨーロッパの冬至祭に由来し、もみの木のクリスマスツリーは17世紀以降に飾られるようになったものである。
*アドヴェント・カレンダー
クリスマスの4週前の日曜日から始まる「アドヴェント」(待降節/降臨節)に用いられる、1日ごとに番号のついた小さな扉を順番に開けながら、クリスマスが来るのを「待つ」ためのカレンダー。
(復活節)
イエス・キリストが十字架の上で苦難を受け、3日後に復活したことを記念する日。キリスト教では最古の祝日であり、教会暦の中で最も重要な日とされる。どの日に祝うべきか日付に関する論争も起こったが、325年の第1ニカイア公会議において、「春分後の最初の満月の次の日曜日」とすることに決着した。東方教会の一部では、ユリウス暦に従っているため、西方の日付と時に位置するが、しばしば1週間、4週間、ないしは5週間遅れる。
*イースター・エッグ
復活祭に交換し合う、装飾された卵。鳥が卵の殻を破って出てくることから、卵は蘇りの象徴とされ、中世ヨーロッパでは、キリストが墓から復活した出来事になぞらえて、復活祭に装飾した卵を墓のレプリカに飾る習慣が一般化した。
(復活節)
イエス・キリストが十字架の上で苦難を受け、3日後に復活したことを記念する日。キリスト教では最古の祝日であり、教会暦の中で最も重要な日とされる。どの日に祝うべきか日付に関する論争も起こったが、325年の第1ニカイア公会議において、「春分後の最初の満月の次の日曜日」とすることに決着した。東方教会の一部では、ユリウス暦に従っているため、西方の日付と時に位置するが、しばしば1週間、4週間、ないしは5週間遅れる。
*イースター・エッグ
復活祭に交換し合う、装飾された卵。鳥が卵の殻を破って出てくることから、卵は蘇りの象徴とされ、中世ヨーロッパでは、キリストが墓から復活した出来事になぞらえて、復活祭に装飾した卵を墓のレプリカに飾る習慣が一般化した。
(聖霊降臨祭)
「聖霊」が使徒たちの上に降り、教会とその宣教活動が始まったことを記念する日。
復活したイエス・キリストが40日間にわたって弟子たちの前に現れ、ご自分が復活して生きていることを示した。天へ昇る前に約束された「聖霊による洗礼」が、ユダヤ教の祭事暦「五旬節」の日に実現したことに基づき、復活祭から50日目の日曜日に祝われる(「ペンテコステ」はギリシア語で数詞「50」の意)。この日をもって復活節が終了する。
*ペンテコステの鳩
イエス・キリストが、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時に「霊が鳩のようにご自分の中へ降って来るのをご覧になった」(マルコ福音書1章10節)とあることから、聖霊の図像に「鳩」がモチーフとして使われるようになった。このことから、聖霊降臨日や洗礼のお祝いとして、鳩がデザインされたカードや贈り物が好まれるようになった。
(聖霊降臨祭)
「聖霊」が使徒たちの上に降り、教会とその宣教活動が始まったことを記念する日。
復活したイエス・キリストが40日間にわたって弟子たちの前に現れ、ご自分が復活して生きていることを示した。天へ昇る前に約束された「聖霊による洗礼」が、ユダヤ教の祭事暦「五旬節」の日に実現したことに基づき、復活祭から50日目の日曜日に祝われる(「ペンテコステ」はギリシア語で数詞「50」の意)。この日をもって復活節が終了する。
*ペンテコステの鳩
イエス・キリストが、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時に「霊が鳩のようにご自分の中へ降って来るのをご覧になった」(マルコ福音書1章10節)とあることから、聖霊の図像に「鳩」がモチーフとして使われるようになった。このことから、聖霊降臨日や洗礼のお祝いとして、鳩がデザインされたカードや贈り物が好まれるようになった。
歴史人物
キリスト教における著名な人物を紹介いたします。
(1181/82-1226)
カトリックの聖人。フランシスコ会(小さき兄弟会)の創立者。イタリア中部アシジの裕福な織物商の息子として生まれる。従軍中の捕虜生活、重病の罹患、帰郷後のハンセン病者と出会いなど、さまざまな体験を経て、サン・ダミアノ聖堂の祭壇の十字架から「私の教会を建て直せ」との呼びかけを受ける。聖堂修復の後、教会全体を立て直すための修道会を設立、清貧を実践する。ぼろぼろの衣服をまとい、神学や雄弁術の素養のない彼が、明快な論旨で説教する様子に人々は魅了されたという。自然を愛し、「太陽の賛歌」(「あらゆる被造物の賛歌)を作った。
*平和の祈り
「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください」と始められる「平和の祈り」は、聖フランシスコの掲げた理想の完全な要約として、彼が作ったと信じられ、愛唱されている。
(1181/82-1226)
カトリックの聖人。フランシスコ会(小さき兄弟会)の創立者。イタリア中部アシジの裕福な織物商の息子として生まれる。従軍中の捕虜生活、重病の罹患、帰郷後のハンセン病者と出会いなど、さまざまな体験を経て、サン・ダミアノ聖堂の祭壇の十字架から「私の教会を建て直せ」との呼びかけを受ける。聖堂修復の後、教会全体を立て直すための修道会を設立、清貧を実践する。ぼろぼろの衣服をまとい、神学や雄弁術の素養のない彼が、明快な論旨で説教する様子に人々は魅了されたという。自然を愛し、「太陽の賛歌」(「あらゆる被造物の賛歌)を作った。
*平和の祈り
「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください」と始められる「平和の祈り」は、聖フランシスコの掲げた理想の完全な要約として、彼が作ったと信じられ、愛唱されている。
(1483-1546)
ドイツの宗教改革者。アイスレーベンで「農民の子」(父は農民出身、後に銅山業者)として生まれる。エルフルト大学に入り法律家を目ざすが、シュトッテルンハイム近郊での落雷体験をきっかけにアウグスチノ隠修士会の修道士となり、1507年に司祭となる。ヴィッテンベルグ大学へ派遣され、聖書釈義の教授として生涯講義を続けた。
1517年、「九十五箇条の提題」ヴィッテンベルクの教会に掲出。このことを発端に『キリスト者の自由』など三大文書を出版、ローマ・カトリック教会から破門される。宗教改革の中心人物として、プロテスタントを誕生させる。
*ルター訳聖書
1522年に新約聖書をドイツ語に翻訳し出版。続いて旧約聖書も翻訳、聖書全巻のドイツ語訳を完成し出版している。ルター訳聖書はその急速な普及により、共通ドイツ語の生成に大きな役割を果たした。
(1483-1546)
ドイツの宗教改革者。アイスレーベンで「農民の子」(父は農民出身、後に銅山業者)として生まれる。エルフルト大学に入り法律家を目ざすが、シュトッテルンハイム近郊での落雷体験をきっかけにアウグスチノ隠修士会の修道士となり、1507年に司祭となる。ヴィッテンベルグ大学へ派遣され、聖書釈義の教授として生涯講義を続けた。
1517年、「九十五箇条の提題」ヴィッテンベルクの教会に掲出。このことを発端に『キリスト者の自由』など三大文書を出版、ローマ・カトリック教会から破門される。宗教改革の中心人物として、プロテスタントを誕生させる。
*ルター訳聖書
1522年に新約聖書をドイツ語に翻訳し出版。続いて旧約聖書も翻訳、聖書全巻のドイツ語訳を完成し出版している。ルター訳聖書はその急速な普及により、共通ドイツ語の生成に大きな役割を果たした。
(1509-1564)
フランスの宗教改革者。「個人の救いはあらかじめ神によって予定されている」という「予定説」を説いたことで知られる。カトリック司祭になるためにパリ大学へ入学、オルレアン大学、ブールージュ大学で学び、研究者・学者の道を歩むが、宗教改革運動に共鳴し、ローマ・カトリックと決別。のちに彼はこの体験を「突然の回心」と呼んでいる。1535年に亡命者としてスイスのバーゼルに移住し、翌年26歳で『キリスト教綱要』を刊行した。ジュネーブで宗教改革の組織化の手伝いを依頼され、信仰教育のための「信仰問答(カテキズム)」採用をはじめ改革推進に尽力。1538年に市議会との対立により追放されたが、ジュネーブに戻る要請を受け入れ、1541年に活動を再開、宗教改革者の中でも大きな影響を与えた著作家として多くの書物を遺した。
(1509-1564)
フランスの宗教改革者。「個人の救いはあらかじめ神によって予定されている」という「予定説」を説いたことで知られる。カトリック司祭になるためにパリ大学へ入学、オルレアン大学、ブールージュ大学で学び、研究者・学者の道を歩むが、宗教改革運動に共鳴し、ローマ・カトリックと決別。のちに彼はこの体験を「突然の回心」と呼んでいる。1535年に亡命者としてスイスのバーゼルに移住し、翌年26歳で『キリスト教綱要』を刊行した。ジュネーブで宗教改革の組織化の手伝いを依頼され、信仰教育のための「信仰問答(カテキズム)」採用をはじめ改革推進に尽力。1538年に市議会との対立により追放されたが、ジュネーブに戻る要請を受け入れ、1541年に活動を再開、宗教改革者の中でも大きな影響を与えた著作家として多くの書物を遺した。
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ジョン・ウェスレー(1703-1791)
英国におけるメソジスト運動の創始者、チャールズ・ウェスレーの兄。オクスフォード大学在学中、学生たちの神学クラブの指導者となり、何事にもメソッド(方法)に基づいて行動することをすすめた。1735年に宣教団に加わり北米ジョージアへ行くも38年に帰国。同年、ロンドン・アルダスゲイト街でのボヘミア兄弟団(モラヴィア派)のメンバーとの出会いにより、回心を体験。これ以降、彼の信仰と神学は英国ハイチャーチ(高教会)的敬虔とプロテスタント福音主義のふたつを焦点にもつに至った。路傍説教とトラクト(小冊子)配布を基本として、熱烈な伝道を実践、施療院の創設をはじめ貧民救済活動を展開した。
チャールズ・ウェスレー(1707-1788)
英国の牧師・聖歌(讃美歌)作者。ジョン・ウェスレーの弟。1735年に兄ジョンに先立って回心を体験し、1756年まで兄弟で英国内の巡回説教を行う。1771年以降はロンドンに住んだ。兄の説教を強める讃美歌を毎週数篇書き、その数は6500篇以上にのぼった。日本でも明治初期から訳され広く愛唱されている。代表作「あめなるよろこび(Love divine, all loves excelling)」(讃美歌21,475番/日本聖公会聖歌集491番)、「わがたましいを(Jesus, lover of my soul)」(讃美歌21、456番/日本聖公会聖歌集543番)。
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ジョン・ウェスレー(1703-1791)
英国におけるメソジスト運動の創始者、チャールズ・ウェスレーの兄。オクスフォード大学在学中、学生たちの神学クラブの指導者となり、何事にもメソッド(方法)に基づいて行動することをすすめた。1735年に宣教団に加わり北米ジョージアへ行くも38年に帰国。同年、ロンドン・アルダスゲイト街でのボヘミア兄弟団(モラヴィア派)のメンバーとの出会いにより、回心を体験。これ以降、彼の信仰と神学は英国ハイチャーチ(高教会)的敬虔とプロテスタント福音主義のふたつを焦点にもつに至った。路傍説教とトラクト(小冊子)配布を基本として、熱烈な伝道を実践、施療院の創設をはじめ貧民救済活動を展開した。
チャールズ・ウェスレー(1707-1788)
英国の牧師・聖歌(讃美歌)作者。ジョン・ウェスレーの弟。1735年に兄ジョンに先立って回心を体験し、1756年まで兄弟で英国内の巡回説教を行う。1771年以降はロンドンに住んだ。兄の説教を強める讃美歌を毎週数篇書き、その数は6500篇以上にのぼった。日本でも明治初期から訳され広く愛唱されている。代表作「あめなるよろこび(Love divine, all loves excelling)」(讃美歌21,475番/日本聖公会聖歌集491番)、「わがたましいを(Jesus, lover of my soul)」(讃美歌21、456番/日本聖公会聖歌集543番)。
(1840-1889)
カトリック宣教師、イエズスマリアの聖心会司祭、「救らいの使徒」と呼ばれた。ベルギーのトレメロー生まれ。1863年にハワイ群島に派遣され、1873年に自ら志願してモロカイ島に隔離されたハンセン病患者のところへ単身赴き、献身的に働いた。日々、住いとなる小屋を建て、きれいな水を引き、患者を訪問して、祈り励まし、手当てをし、衣類を配布し、死を看取り、墓を掘って葬った。16年間におよぶ活動中、自身も同じ病で亡くなった。2009年、ローマ教皇ベネディクト16世により列聖された。
(1840-1889)
カトリック宣教師、イエズスマリアの聖心会司祭、「救らいの使徒」と呼ばれた。ベルギーのトレメロー生まれ。1863年にハワイ群島に派遣され、1873年に自ら志願してモロカイ島に隔離されたハンセン病患者のところへ単身赴き、献身的に働いた。日々、住いとなる小屋を建て、きれいな水を引き、患者を訪問して、祈り励まし、手当てをし、衣類を配布し、死を看取り、墓を掘って葬った。16年間におよぶ活動中、自身も同じ病で亡くなった。2009年、ローマ教皇ベネディクト16世により列聖された。
by Manfredo Ferrari, licensed under CC BY-SA 4.0
(1910-1997)
カトリック修道女、「神の愛の宣教者会」創立者。現在のマケドニア・スコピエ生まれ。1928年に学校教育を行う女子修道会、ロレット修道会に入会、リジューのテレーズを修道名とする。カルカッタ(現コルカタ)へ派遣され、学校教員として働くうちに市中に貧しい人々が溢れていることを実感する。1948年にローマ教皇庁の承認を得て、スラムの子どもたちのために青空教室を始める。1950年に「神の愛の宣教者会」が修道会認可を受け、総長としてマザー・テレサと呼ばれるようになる。その後も「死を待つ人の家」や「子供たちの家」など多くの施設を開設、最も過酷で貧しい人々のために働き、世界中に呼びかけながら、後継者たちを育てた。日本には3度来訪している。2016年、教皇フランシスコにより列聖された。
(1910-1997)
by Manfredo Ferrari, licensed under CC BY-SA 4.0
カトリック修道女、「神の愛の宣教者会」創立者。現在のマケドニア・スコピエ生まれ。1928年に学校教育を行う女子修道会、ロレット修道会に入会、リジューのテレーズを修道名とする。カルカッタ(現コルカタ)へ派遣され、学校教員として働くうちに市中に貧しい人々が溢れていることを実感する。1948年にローマ教皇庁の承認を得て、スラムの子どもたちのために青空教室を始める。1950年に「神の愛の宣教者会」が修道会認可を受け、総長としてマザー・テレサと呼ばれるようになる。その後も「死を待つ人の家」や「子供たちの家」など多くの施設を開設、最も過酷で貧しい人々のために働き、世界中に呼びかけながら、後継者たちを育てた。日本には3度来訪している。2016年、教皇フランシスコにより列聖された。
(1929-1968)
米国バプテスト派の黒人牧師。モントゴメリーの教会に赴任の翌年、1955年に黒人による1年におよぶ大規模なバス・ ボイコット運動を指導した。1963年ワシントン大行進を組織。ガンディーに倣う非暴力抵抗主義を貫き、人種差別撤廃を目指す公民権運動を推進し、1964年ノーベル平和賞受賞。1968年以降はベトナム戦争反対平和運動の先頭に立ったが、メンフィスでのストライキ支援中に暗殺された。大行進の際の演説「私には夢がある」など、名演説家・名説教家として被抑圧者に希望と力を与えた。
(1929-1968)
米国バプテスト派の黒人牧師。モントゴメリーの教会に赴任の翌年、1955年に黒人による1年におよぶ大規模なバス・ ボイコット運動を指導した。1963年ワシントン大行進を組織。ガンディーに倣う非暴力抵抗主義を貫き、人種差別撤廃を目指す公民権運動を推進し、1964年ノーベル平和賞受賞。1968年以降はベトナム戦争反対平和運動の先頭に立ったが、メンフィスでのストライキ支援中に暗殺された。大行進の際の演説「私には夢がある」など、名演説家・名説教家として被抑圧者に希望と力を与えた。
(1861-1930)
キリスト教の独立伝道者、思想家。東京外国語学校(のち東京英語学校)より札幌農学校に入学。同級生に太田(新渡戸)稲造、宮部金吾らがいた。1878年アメリカ・メソジスト監督教会のM.C.ハリスから受洗。1884年に渡米、翌85年アマースト大学に選科生として編入、総長シーリーに感化を受け「回心」を経験。1888年帰国。その後、貧困生活の中から「基督信徒の慰」「救安録」「余は如何にして基督信徒となりしや」など名著を著した。1900年に一生の仕事となる月刊誌「聖書之研究」を創刊。その一方で、足尾鉱毒事件反対運動を展開、日露戦争に対して非戦論を主張。自宅で聖書研究会を開始し、独自なキリスト教「無教会主義」を提唱、その門から数多くの人材が輩出し、日本のキリスト教のみならず、宗教、学問、思想、教育、文学など幅広い分野に影響力をおよぼした。
(1861-1930)
キリスト教の独立伝道者、思想家。東京外国語学校(のち東京英語学校)より札幌農学校に入学。同級生に太田(新渡戸)稲造、宮部金吾らがいた。1878年アメリカ・メソジスト監督教会のM.C.ハリスから受洗。1884年に渡米、翌85年アマースト大学に選科生として編入、総長シーリーに感化を受け「回心」を経験。1888年帰国。その後、貧困生活の中から「基督信徒の慰」「救安録」「余は如何にして基督信徒となりしや」など名著を著した。1900年に一生の仕事となる月刊誌「聖書之研究」を創刊。その一方で、足尾鉱毒事件反対運動を展開、日露戦争に対して非戦論を主張。自宅で聖書研究会を開始し、独自なキリスト教「無教会主義」を提唱、その門から数多くの人材が輩出し、日本のキリスト教のみならず、宗教、学問、思想、教育、文学など幅広い分野に影響力をおよぼした。
動植物
おなじみの動物や植物にも、キリスト教では重要な意味を表わすシンボルになっているものがあります。重要なものを紹介しましょう。
新約聖書では、イエスが洗礼を受けたときに登場する。「イエスは洗礼(バプテスマ)を受けると、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのを御覧になった」(マタイ3:16)。
キリスト教美術では、「聖霊なる神」を象徴するモチーフとして用いられると同時に、一般的には「平和の象徴」として広く親しまれている。
新約聖書では、イエスが洗礼を受けたときに登場する。「イエスは洗礼(バプテスマ)を受けると、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の霊が鳩のようにご自分の上に降って来るのを御覧になった」(マタイ3:16)。
キリスト教美術では、「聖霊なる神」を象徴するモチーフとして用いられると同時に、一般的には「平和の象徴」として広く親しまれている。
新約聖書において「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29)。洗礼者ヨハネが、イエスを見てこのように言ったことから、「小羊」はイエス・キリストの称号とされ、十字の形の光(光背)に囲まれて描かれる。旧約聖書では「出エジプト」と結びついて、「過越の小羊」はイスラエルの民を奴隷から解放した出来事のしるしとされる。
イエス・キリストの死が、人類を罪から解放し、自由を獲得させる出来事となったことから、「神の小羊」はキリストの十字架での自己奉献を記念するしるしとされる。同時に、「神の国」と「聖餐の本質」を表す重要なイメージとして用いられる。
新約聖書において「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29)。洗礼者ヨハネが、イエスを見てこのように言ったことから、「小羊」はイエス・キリストの称号とされ、十字の形の光(光背)に囲まれて描かれる。旧約聖書では「出エジプト」と結びついて、「過越の小羊」はイスラエルの民を奴隷から解放した出来事のしるしとされる。
イエス・キリストの死が、人類を罪から解放し、自由を獲得させる出来事となったことから、「神の小羊」はキリストの十字架での自己奉献を記念するしるしとされる。同時に、「神の国」と「聖餐の本質」を表す重要なイメージとして用いられる。
旧約聖書「ノアの箱舟」の物語において、オリーブの小枝を鳩がくわえて帰還したことから、ノアは洪水の水が引いたことを知った(創世記8:8-12)。このできごとから、オリーブは「神と人間の和解」、「平和」、「神の慈しみによる繁栄」と「神の祝福」を象徴するモチーフとされた。
旧約聖書「ノアの箱舟」の物語において、オリーブの小枝を鳩がくわえて帰還したことから、ノアは洪水の水が引いたことを知った(創世記8:8-12)。このできごとから、オリーブは「神と人間の和解」、「平和」、「神の慈しみによる繁栄」と「神の祝福」を象徴するモチーフとされた。
古代パレスチナにおける重要な作物として、旧約聖書では豊かさの象徴とされた。新約聖書では、次のような言葉で自らを描写していることからイエスを象徴する。「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ15:5)。
古代パレスチナにおける重要な作物として、旧約聖書では豊かさの象徴とされた。新約聖書では、次のような言葉で自らを描写していることからイエスを象徴する。「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ15:5)。
受胎告知(み告げ)が、伝統的に花咲く季節にあったとされることから、聖母マリアの花として清さと処女性を象徴するものとされる。
また「三位一体」を表すとして、「ユリ紋章」としても用いられる。
受胎告知(み告げ)が、伝統的に花咲く季節にあったとされることから、聖母マリアの花として清さと処女性を象徴するものとされる。
また「三位一体」を表すとして、「ユリ紋章」としても用いられる。
花の中で最も美しいものとして、「おとめマリア」を象徴する。聖母マリアは罪がない(無原罪)とされることから、その図像には茎に棘のないバラが描かれる。
また、白バラは清さと完全な美しさ、血のように赤いバラは殉教の象徴とされる。
宗教改革者ルターが用いたバラの紋章は、彼の教義を表すものとして「ルターローズ」と呼ばれている。
花の中で最も美しいものとして、「おとめマリア」を象徴する。聖母マリアは罪がない(無原罪)とされることから、その図像には茎に棘のないバラが描かれる。
また、白バラは清さと完全な美しさ、血のように赤いバラは殉教の象徴とされる。
宗教改革者ルターが用いたバラの紋章は、彼の教義を表すものとして「ルターローズ」と呼ばれている。
under CC BY 3.0
アラビアや北アフリカ原産でカンラン科の常緑低木樹である乳香樹(フランキンセンス/オリバナム)から採取される白色の樹脂。燃やすと強い芳香を放つことから、旧約聖書では、神への捧げものを焚き上げる際の薫香に用いられた(レビ記2章ほか)。
新約聖書では、東方の三博士が、幼子イエスへの捧げ物として黄金、没薬とともに持参した(マタイ2:11ほか)。
under CC BY 3.0
アラビアや北アフリカ原産でカンラン科の常緑低木樹である乳香樹(フランキンセンス/オリバナム)から採取される白色の樹脂。燃やすと強い芳香を放つことから、旧約聖書では、神への捧げものを焚き上げる際の薫香に用いられた(レビ記2章ほか)。
新約聖書では、東方の三博士が、幼子イエスへの捧げ物として黄金、没薬とともに持参した(マタイ2:11ほか)。
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カンラン科の常緑低木樹ミルラから採取され、その芳香が珍重された非常に高価な樹脂。温めたり燃やしたりすることで強烈な香りを放つ。鎮痛とともに防腐の薬理作用があり、古代エジプトではミイラ作りに用いられた。
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カンラン科の常緑低木樹ミルラから採取され、その芳香が珍重された非常に高価な樹脂。温めたり燃やしたりすることで強烈な香りを放つ。鎮痛とともに防腐の薬理作用があり、古代エジプトではミイラ作りに用いられた。
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インドおよび東アジアの原産で、オミナエシ科の多年草ナルドスタキス(スパイクナード/甘松)。その茎と根の抽出成分から作られた香油は、鎮静と安眠に役立つとされ、高価に取引された。
旧約聖書では「雅歌」(1:12、4:13-14)に女性をほめたたえる描写として、新約聖書ではイエスの埋葬の準備として「ナルドの香油」が登場する。
「一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、その壺を壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」(マルコ14:3/ヨハネ12:3)
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インドおよび東アジアの原産で、オミナエシ科の多年草ナルドスタキス(スパイクナード/甘松)。その茎と根の抽出成分から作られた香油は、鎮静と安眠に役立つとされ、高価に取引された。
旧約聖書では「雅歌」(1:12、4:13-14)に女性をほめたたえる描写として、新約聖書ではイエスの埋葬の準備として「ナルドの香油」が登場する。
「一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、その壺を壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」(マルコ14:3/ヨハネ12:3)
シンボルほか
キリスト教では、多くのシンボルが信仰や教えを象徴しています。それらの意味や由来をご紹介します。
キリストのシンボルとして用いられた「組み合わせ文字」(モノグラム)。
ギリシア語「キリスト(KPICTOC)」の最初の2文字からなる。
キリストのシンボルとして用いられた「組み合わせ文字」(モノグラム)。
ギリシア語「キリスト(KPICTOC)」の最初の2文字からなる。
イエスが、紀元30年頃エルサレム城壁外のゴルゴダの丘で、ローマ人によってパレスチナへもたらされた十字架刑に処せられた。この出来事から長い時間を経て、キリスト教信仰のアイデンティティの拠り所として、重要かつ聖なるシンボルとなった。その形状には、次にあげるもののほか、さまざまなものがある。
・「ラテン十字」
縦棒が長く、短い横棒がやや上方で直角に交差する十字。
・「ギリシア十字」
長さの同じ縦横棒が中央で交差する十字。
・「タウ十字」
ギリシア語T(タウ)の形の十字。アシジの聖フランシスコが署名に用いた。
イエスが、紀元30年頃エルサレム城壁外のゴルゴダの丘で、ローマ人によってパレスチナへもたらされた十字架刑に処せられた。この出来事から長い時間を経て、キリスト教信仰のアイデンティティの拠り所として、重要かつ聖なるシンボルとなった。その形状には、次にあげるもののほか、さまざまなものがある。
・「ラテン十字」
縦棒が長く、短い横棒がやや上方で直角に交差する十字。
・「ギリシア十字」
長さの同じ縦横棒が中央で交差する十字。
・「タウ十字」
ギリシア語T(タウ)の形の十字。アシジの聖フランシスコが署名に用いた。
イエスの十字架の一番上に釘付けられた罪状書きに書かれたラテン語「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」を意味する。受難のキリストを描く図像においてこの文字が記される。
イエスの十字架の一番上に釘付けられた罪状書きに書かれたラテン語「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」を意味する。受難のキリストを描く図像においてこの文字が記される。
ギリシア語「イエス(IHCOYC)」に由来する、イエス・キリストのシンボル。
「IHC」をラテン語に訳した「IHS」もシンボルとして使われた。
ギリシア語「イエス(IHCOYC)」に由来する、イエス・キリストのシンボル。
「IHC」をラテン語に訳した「IHS」もシンボルとして使われた。
最古のキリスト教シンボルのひとつ。信仰告白文の「イエス・キリスト・神の子・救世主」の5つの単語の頭文字を並べると、ギリシア語で「魚」(ΙΧΘΥΣ、イクトゥス/イクテュース)となる。
また、イエスが5つのパンと2匹の魚で5千人を養った奇跡や、「人間をとる漁師にしよう」と言ってペトロとその兄弟を弟子にしたことなど、魚にまつわる話から、魚はキリスト教のシンボルとなった。
最古のキリスト教シンボルのひとつ。信仰告白文の「イエス・キリスト・神の子・救世主」の5つの単語の頭文字を並べると、ギリシア語で「魚」(ΙΧΘΥΣ、イクトゥス/イクテュース)となる。
また、イエスが5つのパンと2匹の魚で5千人を養った奇跡や、「人間をとる漁師にしよう」と言ってペトロとその兄弟を弟子にしたことなど、魚にまつわる話から、魚はキリスト教のシンボルとなった。
イエス・キリスト、聖母マリア、聖人、十字架や象徴的な銘文などが表裏に刻まれた、金属製円形の小型碑(メダル)。カトリックでは、教会による祝別を受けたメダイを信者や聖職者が常時身につけ、信仰を強める助けとする。
*不思議のメダイ
1830年、フランス・パリの修道女カトリーヌ・ラブレに聖母マリアが現れ、その命によりメダイが作られた。当時、このメダイを身に付けて聖母マリアに取り次ぎを願った人びとに様々な奇跡を起こったことから、世界中に広がり、「不思議のメダイ」「奇跡のメダイ」とも呼ばれる。
イエス・キリスト、聖母マリア、聖人、十字架や象徴的な銘文などが表裏に刻まれた、金属製円形の小型碑(メダル)。カトリックでは、教会による祝別を受けたメダイを信者や聖職者が常時身につけ、信仰を強める助けとする。
*不思議のメダイ
1830年、フランス・パリの修道女カトリーヌ・ラブレに聖母マリアが現れ、その命によりメダイが作られた。当時、このメダイを身に付けて聖母マリアに取り次ぎを願った人びとに様々な奇跡を起こったことから、世界中に広がり、「不思議のメダイ」「奇跡のメダイ」とも呼ばれる。
ギリシア語「エイコン(像)」に由来する。板や壁にキリストや聖母、諸聖人の肖像、事績を描いたものを指す。東方正教会の信徒にとって文字どおり〈聖なる〉画像であり、聖堂はもとより、各家庭に安置されて崇敬と礼拝の対象とされる。
ギリシア語「エイコン(像)」に由来する。板や壁にキリストや聖母、諸聖人の肖像、事績を描いたものを指す。東方正教会の信徒にとって文字どおり〈聖なる〉画像であり、聖堂はもとより、各家庭に安置されて崇敬と礼拝の対象とされる。
ローマ・カトリック教会が典礼文を歌うのに用いる伝統的な単音旋律(「単旋聖歌」)。聖グレゴリウス1世にちなんで「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる。
ローマ・カトリック教会が典礼文を歌うのに用いる伝統的な単音旋律(「単旋聖歌」)。聖グレゴリウス1世にちなんで「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる。
聖地
歴史的・信仰的に重要とされる聖地を厳選してご紹介します。
ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒にとって、「聖なる都」。
聖書では、〈サレム〉、〈エブス人の町〉、〈ダビデの町〉、〈聖き都〉などと称される。
ソロモン王はこの地に神殿を建て、預言者イザヤやエレミヤもこの地で活動した。紀元前587年、バビロニア王ネブカドネザルに滅ぼされ、都の主要人物はバビロンに移されたが、捕囚より帰還後再建され、ペルシア、ギリシア、ローマ時代を通じ、ユダヤ人にとっては最も神聖な都であった。
エルサレムはまたイエスの生涯に関係深く、特にその死、復活、昇天の舞台となったことから、キリスト教徒にとっても聖都となった。
マホメットがエルサレムから昇天したという伝説に関連して、メッカ、メディナに次ぐイスラム教世界における重要な聖所となった。
エルサレムは時代によりその大きさは異なり、移動があった。現在、聖域となっている所は、伝説によればアブラハムがイサクを献げたモリヤの山で(創世記22章)、そこはダビデがエブス人から購入して祭壇を築いた所(サムエル記下24:24)、ソロモンの神殿、第二神殿、主イエス時代のヘロデの神殿のあった所で、今はイスラム教の八角円頂の「岩のドーム」が建ってる。町は中央山脈の海抜790mの高度にある。緯度からいえば九州の南端佐多岬と同じである。
ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒にとって、「聖なる都」。
聖書では、〈サレム〉、〈エブス人の町〉、〈ダビデの町〉、〈聖き都〉などと称される。
ソロモン王はこの地に神殿を建て、預言者イザヤやエレミヤもこの地で活動した。紀元前587年、バビロニア王ネブカドネザルに滅ぼされ、都の主要人物はバビロンに移されたが、捕囚より帰還後再建され、ペルシア、ギリシア、ローマ時代を通じ、ユダヤ人にとっては最も神聖な都であった。
エルサレムはまたイエスの生涯に関係深く、特にその死、復活、昇天の舞台となったことから、キリスト教徒にとっても聖都となった。
マホメットがエルサレムから昇天したという伝説に関連して、メッカ、メディナに次ぐイスラム教世界における重要な聖所となった。
エルサレムは時代によりその大きさは異なり、移動があった。現在、聖域となっている所は、伝説によればアブラハムがイサクを献げたモリヤの山で(創世記22章)、そこはダビデがエブス人から購入して祭壇を築いた所(サムエル記下24:24)、ソロモンの神殿、第二神殿、主イエス時代のヘロデの神殿のあった所で、今はイスラム教の八角円頂の「岩のドーム」が建ってる。町は中央山脈の海抜790mの高度にある。緯度からいえば九州の南端佐多岬と同じである。
フランス南西部ピレネー山脈の麓にある巡礼地。1858年2月11日、ルルド近郊のマサビエルの洞窟で、聖母マリアが14歳のベルナデッタに初めて現れた。泉が湧き出て、奇跡的な治癒が報告がされ、調査の結果教会当局によって神聖なものと承認され、国際的な巡礼地となった。
フランス南西部ピレネー山脈の麓にある巡礼地。1858年2月11日、ルルド近郊のマサビエルの洞窟で、聖母マリアが14歳のベルナデッタに初めて現れた。泉が湧き出て、奇跡的な治癒が報告がされ、調査の結果教会当局によって神聖なものと承認され、国際的な巡礼地となった。
ポルトガル中央にある巡礼地。1917年、3人の子どもに聖母マリアが複数回にわたって現れ、「ロザリオの祈り」を毎日唱えるように告げ、聖堂を建てるよう求めた。その後、奇跡が相次いで起こり、有名な巡礼地となった。
ポルトガル中央にある巡礼地。1917年、3人の子どもに聖母マリアが複数回にわたって現れ、「ロザリオの祈り」を毎日唱えるように告げ、聖堂を建てるよう求めた。その後、奇跡が相次いで起こり、有名な巡礼地となった。
参考文献
『キリスト教大事典 改訂新版』1970年
『オックスフォード キリスト教辞典』2017年
『ルターと宗教改革事典』1995年
『日本キリスト教歴史人名事典』2020年
『聖書植物図鑑』1992
『「教会」の読み方』2013年(以上、教文館)
『新カトリック大事典』研究社、1996年
『キリスト教人名辞典』日本基督教団出版局、1986年