建築家
アントニン・レーモンドと
教文館ビル
教文館ビルを設計したレーモンドとはどんな人?
1933(昭和8)年に竣工し、その後戦災を免れ、現在も銀座の書店として親しまれている「教文館ビル」は、日本近代建築の父ともいわれる建築家アントニン・レーモンド(1888-1976)の設計によるものです。レーモンドは44年間の滞日で400余の建築物をつくり、日本の建築の発展において多大な影響と功績を残しました。
Antonin Raymond 1888-1976
レーモンドの仕事、功績
ボヘミア生まれのレーモンドは、1919年に帝国ホテル設計施工のため来日したフランク・ロイド・ライトの助手としてアメリカから来日しました。1921年に独立し、丸の内にレーモンド事務所を開設すると、東京女子大学の礼拝堂と講堂を中心とする構内の総合計画をはじめ、聖路加国際病院、伊・仏・米の各大使館などを設計。その他彼が手掛けた戦前の代表的建築物には、兵庫県小林聖心女学院、カトリック軽井沢聖パウロ教会、日光のイタリア大使館別邸、そして教文館ビルがあります。戦前に内外コンクリート打ち放し住宅を建てるとともに、伝統的な日本建築や民家、大工の仕事に共鳴し、木造モダニズム建築を誕生させました。
戦後1948年に再び来日し、リーダーズダイジェスト東京支社、群馬音楽センターをはじめ数々の傑作を生み、戦後日本の近代建築の発展に主要な役割を果たしました。作品の特徴は、端正な近代建築の中に西欧の古典的教養と丸太や障子など日本的素材が巧みに織り込まれた独特の美しさにあります。また吉村順三、前川國男ら日本の代表的建築家を育てた功績も大きいと言えるでしょう。
竣工当時の教文館ビル
教文館ビルは、銀座界隈では今に至るまで使われている唯一のレーモンド建築です。
竣工当時はアール・デコ様式の塔がそれぞれの屋上に建っていたこともあり、銀座においてランドマークの役割を果たしました。周囲に低層建築が多かったため、ビル屋上からも国会議事堂や富士山が見渡せたといいます。
教文館の売店(書店)は2階にあり、富士アイスのカフェが地下1階に、レストランが1階に入りました。上階には、米国聖書協会(現日本聖書協会)のオフィス、1934年からはレーモンドの設計事務所も入るほか、さまざまなオフィスが入っていました。都市的な文化活動の拠点にふさわしい構成を持った建物でした。
現在の教文館ビル
現在のビルも、基本的な構造は竣工当時と変わっていません。エントランスホールや階段部分の一部では、床大理石は竣工当時のものを使用しています。また、エントランスホール天井には、廻り縁のレリーフ装飾が残されています。
外観は、テナントの入居に合わせてリニューアルしています。1997年に、銀座通り側のエントランスに、オマージュとしてレーモンドの意匠を模した格子を復活させました。このように、石やレリーフをふんだんに用いた装飾性の強い竣工当時の建築のエッセンスを、現在も随所に感じることができます。
教文館ビルは、本来2つの建物である「教文館ビル」と「聖書館ビル」が、エントランスホールや階段室を共有し、一体化するように建てられているため、外観は1つのビルのように見えます。特徴的なコの字型の構造と太い梁によって、2つのビルは支えられています。
東日本大震災(2011年)の翌年、東京都の緊急時輸送道路に面する建物に耐震診断が義務付けられましたが、教文館ビルと聖書館ビルはすべての階で耐震に適合するとの判定を受けました。
外観(撮影:2026.04.27)
エントランスホール
松屋通り側入口