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内容詳細

イラストでよむ 神学入門シリーズ

第一次大戦から冷戦までの混迷の時代、世界中に蔓延する悪に対峙しながらキリスト者の正義を求めて苦闘したラインホルド・ニーバーとH. リチャード・ニーバー。彼らの思想は現代に至るまで影響を与え続けている。アメリカを代表する神学者である、ニーバー兄弟の生涯と思想を学ぶための入門書として最適。

 

《著者紹介》

S. R. ペイス(Scott R. Paeth)

現在、デポール大学(イリノイ州)准教授。専門はキリスト教社会倫理及び公 共の神学。著書に、Exodus Church and Civil Society: Public Theology and Social Theory in the Work of Jürgen Moltmann がある。

 

《訳者紹介》

佐柳文男(さやなぎ・ふみお)

北星学園大学教授、聖隷クリストファー大学教授などを歴任。千歳船橋教会、越生教会で牧会・伝道に従事。訳書に、A. E. マクグラス『プロテスタント思想文化史──16世紀から21世紀まで』『C. S. ルイスの生涯』などがある。

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書評

「公共の神学者」としてのニーバー兄弟

髙橋義文

 本書は、広く一般に神学者の生涯と思想の要点を紹介する「はじめての...」シリーズの一冊として、ラインホルド・ニーバーとその弟のヘルムート・リチャード・ニーバーを扱った書である。

 二〇世紀アメリカの神学・倫理学・政治学の領域に広く卓越した影響を与えた二人のニーバーを、実の兄弟であるがゆえに、まとめて紹介するという仕方は、これまでも時折なされてきた(最近では、F・グラーフ編/安酸敏眞監訳『キリスト教の主要神学者 下』[教文館、二〇一四年]にその例が見られる)。

 しかし、この二人を合わせて扱う手法にはやや疑問も覚える。この二人は、同じ背景に育ち、生涯にわたって互いに尊敬を失わず、公に論争もし、同時に種々の意味で影響を及ぼし合った兄弟であったが、思想家として見た場合、それぞれ、きわめて異なる、独自の存在であり、一緒に扱う範囲をはるかに超えているからである。できれば、それぞれに一書を与えてほしかったと思うのは、評者だけの感想ではないであろう。

 とはいえ、二人を一緒に扱うことで、この兄弟の種々の魅力が際立ち、兄弟への関心が喚起されるというメリットもあることは確かである。その点で、本書は、著者S・R・ペイスの手腕もあって、ある程度成功していると言ってよい。

 また、二人を一緒に扱うゆえのコンパクトさにもかかわらず、本書は、それぞれの生涯と思想を、相互に手際よく関連させながら、経年的に主要著作を追うかたちで、奇をてらわず、全体としてきわめて妥当に、一定の満足度を満たしながら、紹介している。リチャードの特異な戦争観──十字架刑としての戦争(一〇九頁以下)や、死後一七年経って公にされた、自らの後半生の最後の部分を回顧したラインホルドの最晩年のエッセイ(一九一頁以下)に触れるなど、興味深い部分も多い。

 ニーバー兄弟は、二〇世紀半ば、同時代人の多大な尊敬を受けた神学者ではあったが、多くの厳しい批判にもさらされてきた。本書は、それらにも十分な目配りをしつつ応答を試みている(二〇五頁以下)が、その扱いも妥当である。また、最近の「ニーバー・リヴァイヴァル」と呼ばれる動向(といってももっぱら兄のことであるが)にも触れていることは、時宜にかなっていよう。

 おそらく、本書の最大の特徴は、ニーバー兄弟を共に「公共の神学者」として受け止め、そこに両者の現代的意義を認めようとしている点であろう。ラインホルドがそのように呼ばれてきたことはつとに知られている。しかし、リチャードをこのカテゴリーで受け止めることはなされてこなかったかと思われる。敢えて二人を「公共の神学者」と見なして論じようとする著者の視点は新鮮である。ただ本書の入門的性格もあって、その内容に深く立ち入ることはできていない。しかし、その認識を踏まえて、両者の影響と遺産を、リチャードは「神中心的倫理学」として、ラインホルドは「キリスト教現実主義」として整理している部分(二一六―二二三頁)は、簡にして要を得ていて、適切である。

 本書に課題があるとしたら、この兄弟を扱う場合、両者の歴史理解や歴史意識にもっと光を当て、そこで両者を対話させ、それに関連する種々の議論も盛り込んでいたら、両ニーバーの思想の特徴がさらに浮き彫りになったのではないかと思われる点である。また、それぞれが深遠な思想家であるゆえに、解釈の幅を生むことは当然ではあるが、それにも触れる必要があったのではないか。

 著者の説明や解釈に違和感を覚えた点もある。一つだけを挙げれば、ラインホルドの人間学のみならずその思想全体に関わる重要な概念である、人間の「精神」(spirit)が、しばしば「理性」と混同されているように見えるところ(本書一一六―一一七頁)である。ラインホルドにとって、「精神」は、《自己(理性をも含む)を超越する自己》ないし人間の《根源的自由》のことであって、理性と同一視することはできない。

 なお、巻末の参考文献の訳者による邦訳情報に、リチャードの最初の主要著書である教派主義論に柴田訳(一九八四年)があることを付け加えておきたい。また、原著者のミスであるが、ラインホルドの没年は、一九七三年(二〇四頁)ではなく一九七一年である。

 ニーバー兄弟については、近年少しずつ理解が進みつつあるように思われるが、なお十分とは言えない状況にあって、本書は、貴重な紹介の書となるであろう。この書を機に、ニーバー兄弟への関心が高まることを期待したいと思う。

(たかはし・よしぶみ=聖学院大学大学院客員教授・同総合研究所所長)

『本のひろば』(2015年10月号)より