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内容詳細

20世紀の古典的名著として読み継がれる『服従』や『共に生きる生活』、そして『倫理』や『獄中書簡集』などを著すと同時に、反ナチ抵抗運動のメンバーとしてヒトラー暗殺計画に加わり、第二次大戦末期に強制収容所で殉教の死を遂げた神学者ボンヘッファー。彼が存在を賭けて取り組んだ神学的冒険の全貌を、ユニークなイラストともに辿る。

右傾化するこの国に生きるキリスト者に、ぜひ読んでいただきたい一冊です。

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書評

新しい視点の入門書

江藤直純

 すでに高い評価を受けているこの人物の「伝記+入門的研究書」がいくつもある中でのこの新刊は必要かと問われれば、はっきりと「然り」と言いたい。ドイツ教会闘争の只中に生きたボンヘッファーを鋭く描き出した名著、森平太『服従と抵抗への道』を嚆矢に、邦語文献は枚挙にいとまがない。

 しかし、この『はじめてのボンヘッファー』には共著者の明確な意図がある。これは「ボンヘッファーの生涯の意味」を「反ナチ抵抗運動、投獄、処刑」から振り返るやり方ではなく、「その初めから終わりに至るまで、いわばその生きたさまを跡付けるかたちで叙述する」試みである。第六章「遺産」の中で述べられているように一九六〇年代から今日までさまざまな文脈と角度から論じられ評価されてきたボンヘッファーの神学のもつ豊かさを提示したいとの意図があるだろう。それは、教会闘争を生きたボンヘッファーの価値を下げることではない。それを含めた彼の神学と生涯の全貌を捉えようとの一つの試みだろう。

 家族の背景から最後の日々までの伝記の部分が全体の半分弱を占める。いくつものキーワードと印象的な文章を用いつつ、著作や行動だけでなく内面も深く描きながら生涯を叙述している。ベートゲの有名な「神学者‐キリスト者‐同時代人」という図式は使わないが、キリスト論と教会論への深く一貫した関心、神学者であることと牧師であることの両面性、自ら死ぬまで貫いた「キリストへの服従」モチーフ等が顕著である。

 第二章から第五章は、ボンヘッファーの神学とその貢献(現代への挑戦)を四つのテーマに絞り込んで大胆に論じていて面白い。第二章の主題は「教会として存在するキリスト」。『聖徒の交わり』『行為と存在』『共に生きる生活』を貫き、キリストの弟子であることへの召しを重視し、キリストご自身が生きた他者の苦難の「身代わり」また「代表する者」を核とするキリスト論と、それを生きる共同体としての教会論を描き出す。

 「高価な恵み」を論じる第三章では、彼の神学の特質をルターの神学を基礎としてその関連で描くのが特徴的だ。ちなみにドイツ教会闘争に主眼を置く日本のボンヘッファー研究では専ら「バルト‐ボンヘッファーの線」が強調されるが、そしてそれはたしかにそうだが、ボンヘッファーの神学の総体を貫くのが信仰義認を中心とするルター神学であることを著者は主張する。「高価な恵みという概念は、ボンヘッファーの人間のためになされたキリストの贖いの苦難に対する深遠な認識と、マルティン・ルターの十字架の神学、二王国論、信仰義認などの神学の深い理解に基づいている。さらに付言すれば、高価な恵みの考えは、ボンヘッファーの平和主義、責任、信仰と服従の関係といった考え方と響き合っている。究極的には、ボンヘッファーの後期の著述に出てくる『キリスト教信仰のこの世性』という考えの前兆であった」という解釈を述べている。この章に本書の特徴があると言えよう。

 第四章「代理と形成としての倫理学」においても「犠牲的奉仕としてのキリスト中心的自由が、ボンヘッファーの倫理の核心であり、それはルターの十字架の神学によって形成されたのである」とまで言っている。「委任」の意義も強調している。

 極めて挑戦的な表現である「非宗教的キリスト教」が第五章。「機械仕掛けの神」「成人した世界」「神なきがごとくに」を鍵に「生の中心」におられるキリストと、それゆえに無力で「苦しみたもう神」を手掛かりにキリスト者の在り方を述べる。

 蛇足。この『はじめての~』シリーズは「ユニークなイラスト」が売りの一つであろうが、イラスト化されたボンヘッファーは読者のイメージを固定化させないか。ましてや彼は伝統的な神理解に大きな修正を迫っているのに、怖いオジサン風な神の顔は本書にふさわしいかどうか。

 ともあれ、新しい視点のボンヘッファー入門書を歓迎し、訳者の労に感謝したい。

(えとう・なおずみ=ルーテル学院大学学長)

『本のひろば』(2015年11月号)より