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内容詳細

「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、 私は今日りんごの木を植える」

宗教改革者ルターの言葉と言われながらも出典が不明であったこの言葉は、いったいいつ、どこで生まれたのか?
本当にルターの言葉なのか? それとも「似て非なるルター」がいたのか?
ひとつの格言をめぐる膨大な歴史史料・時代証言・アンケートから、戦後のドイツ人の心性史を解き明かす!

 

【目次】

まえがき

第1章 中心的問い──ルターのりんごの苗木の言葉、その真偽への問い

第2章 出現 ──困難の中にある人びとへの慰めと勇気づけの言葉(終戦前から1946年まで)

1 史料状況と記憶
2 現在までの最も古い典拠
3 終戦への一瞥
4 最初の出版物

第3章 一般社会への突破 ──生き残った人びとと新規まき直しの人びとにとっての希望のしるし(1950年まで)

1 逃避と追放に対するひとりの著名人の言葉(1947年)
2 西南ドイツの農園の歌と無名の啓蒙家(1948年)
3 1950年の聖霊降臨祭──政治、文学、若者
4 一般社会への周知、新しい形、変化形

第4章 定着した使用法 ──確認と同意の文(1950年代)

1 使用範囲と特徴について、また最初の批判的反省について一般的に言えること
2 教会生活の中で ──ライプツィヒのバート・ザルツウーフレン、ナウムブルク、ハノーファー
3 ドイツ連邦共和国における市民宗教の信仰告白として
4 ドイツ民主共和国における使用範囲の限定と継承

第5章 手がかりを求めて ──歴史的由来に関する仮説

1 マルティン・ルターか──否か
2 シュヴァーベンの敬虔主義
3 キケロ、擬古的寓意表現
4 ヨハナン・ベン・ザッカイ
5 フリードリヒ・クリスティアン・ラウクハルト

第6章 新作説 ──似て非なるルター説、ルターと近代との関係

第7章 どういう意味で広く使われたのか ──将来の言葉、楽観主義の慣用表現と生の象徴(1960年代以降)

1 希望の言葉、進歩主義者の台頭に伴う後退と将来の不安に対して新たに使われる可能性
2 エコロジーの言葉として文字通りの意味で使う
3 政治的スローガンとして
4 包括的な平和の希望のしるしから宗教的救いのシンボルまで

第8章 今後は使われないのか、 それともまだ使われる可能性があるのか

1 終末のしるし
2 ルターの説く生きる勇気
3 ルターの考えと一致しているか


訳者あとがき
人名索引

【著者紹介】
M. シュレーマン(Martin Schloemann)
1931年生まれ。1959年にミュンスター大学で神学博士号を取得した後、ドイツとスウェーデンの教会で牧師として奉職。その後、ボッフム大学で助手・講師として働いたあとに、1974年から1996年までヴッパータール大学で教授を務めた(組織神学および歴史神学)。

【訳者紹介】
棟居 洋(むねすえ・ひろし)
1938年生まれ。東京大学文学部西洋史学科、国際基督教大学大学院比較文化研究科などで学ぶ。学術博士。元フェリス女学院中学校・高等学校校長。
訳書にB. メラー『帝国都市と宗教改革』(共訳、教文館、1990年)がある。

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書評

ドイツ社会を変革した希望の言葉

宮田光雄

 「たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの苗木を植える」──この格言は、これまで宗教改革者ルターの言葉としてよく知られてきたものである。

 東日本大震災直後、この言葉がインターネット上でも時折見かけられたのは当然だろう。大災害に直面して絶望することなく立ち上がる希望を説くものとして受けとられていたのだ。

 もっとも、この言葉をフランス・レジスタンスの運動の中から生まれたものと紹介する声もあった。そのほか、新自由主義によるグローバリゼーションの拡大を批判する坂本義和氏の絶筆の中にも、この言葉が引かれている。草の根の民衆の「いのちを生かす闘い」を訴えるこの文章を含む遺稿集(『平和研究の未来責任』)カバーの横帯に、この格言の文字を発見して驚かされた。

 本書の掲げる中心的なテーマは二つ。一つは「この言葉が本当にルターに由来するのかという歴史的問題」。もう一つは──作者がルターであるか否かにかかわらず──それが「どのように理解され用いられてきたのか、また今後いかに理解され用いられうるか」という将来的な「見込みを含んだ問題」である。

 その限りでは、何よりもまず、格言の本当の作者は誰なのかという一種ミステリーまがいの興味をそそられる。それだけではなく、漂流するような現代の社会状況の中で、この格言の訴えようとする信仰的意味を学び直すためにも、本書は格好の読み物となるのではなかろうか。

 第一のテーマ。謎解きの答えを読者にあらかじめ示すのはやや躊躇(ためら)われるが、この格言は実はルター由来のものではない。『卓上語録』をはじめ、彼のどの著作にも文字通りの形では存在しない。しかし、この格言の作者である「似て非なるルター」=《疑似ルター》は、まったく無から生まれたのではない。本書の著者によれば、ルターの作詞した賛美歌や詩編翻訳などを通して、ドイツのキリスト者の間で日常化していた言い回しを用いて、ほとんど意識されないままに言葉の入れ替えが行われて、出来あがったものだろうと推定されている。

 第二のテーマは、この格言がドイツの政治文化や民衆心理の中でいかなる役割を演じたかという形で取り上げられる。中でも一九七〇年代から八〇年代にかけて生態学的危機の声が高くなった時期に、この格言は、ドイツ内外の多くの文学者や神学者、さらには政治家たちによって口にされた。評者には、とくに東ドイツの社会変革にたいする関わりが興味深かった。そこでは、生産効率至上主義を追求するあまり、無軌道な産業公害によって国土が荒れ果てていったのだ。こうした環境破壊に反対して、《疑似ルターの言葉》は、意外な変革力を発揮した。国土に《苗木を植えよう》と訴える象徴的行動を、独裁政権も力で押さえつけることはできなかったから。それは、やがて若者たちの軍事教育反対や兵役拒否の動きとも連動して、ついにはベルリンの壁を崩壊させることになったのだ。

 この有名な格言がさまざまのヴァリエーションで伝えられているところからすれば、作者は一人ではなく、多くの民衆だったと言うべきかもしれない。それにしても、「りんごの苗木」という象徴的な言い回しは、まことに素晴らしい。そのか弱く見える可憐な姿は、それだけ鋭く《世の終わり》という不安に抗して、希望に生きる精神の力強さを印象づけてくれるのだから。

 著者はヴッパータール神学大学で長く組織神学と歴史神学を教えてきた教授である。本書は、第二次大戦末期から最近にいたるまでの膨大な歴史資料や時代証言、さらにアンケート調査などを用いた本格的な研究である。この格言の起源史と戦後ドイツの教会と社会にあたえた影響史の分析として信頼することのできる優れた業績であろう。

 私たちの周りに迫る暗い時代の兆しの中で、本訳書の出版は、まことにタイムリーなものとして歓迎したい。

(みやた・みつお=東北大学名誉教授)

『本のひろば』(2016年2月号)より