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みなさん、こんにちは!今日のボクの村岡花子展9階会場レポートは、花子さんが東洋英和を卒業した後から始めます。その前に、ここは何のコーナーか?というと、花子さんの初恋の人で、戦後日本初の国連大使となった澤田廉三氏について紹介したところです。エリザベス・サンダース・ホームを作ったのもこの人(と奥様)だったんだって!知らなかった~!

 

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花子さんは東洋英和卒業後、山梨英和女学校で英語の先生をしていて、その間にこの年代の少女たちが読むよい本が日本にはないことを痛感したんだって。そこで、初めての本『爐邉』を、教文館の前身である日本基督教興文協会から出版するんだけど…その『爐邉』のまえがきに出てくる、“『母様キャレーの雛鳥』”がこの2冊の洋書です。後に、花子さん自身が翻訳をしてます。(残念ながら今は手に入りません)

 

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そして!ジャジャーン!!これが、唯一現存する(と思われる)『爐邉』の本物です!これは13編の物語が集められた短篇集でほとんどが翻訳作品だけれど、中に一話だけ花子さんの創作の物語が収められているそうだよ(でも、どれだかわからないらしい)。会場では、中から「芸術家」いう1篇だけを抜き出して、読めるように展示していま~す。花子さんの言う“洗練された日常”を感じてもらえたら嬉しいな。

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これが、花子さんが勤めていた築地に合った日本基督教興文協会の建物。『アンのゆりかご』の第5章163ページに、建物の様子が「レンガ造りの2階建て、小人の帽子のような塔を持つ、こじんまりとした社屋」と紹介されてます。すてきな洋館!でもね、この建物は関東大震災でつぶれちゃったんだって…。

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そしてこれが、ちょうど出会った頃の花子さんと蜆・Oさんの写真です!「淡いベージュのお洒落な背広に身を包んだ、目の大きいエキゾチックな顔立ちの男性」(『アンのゆりかご』166ページより)という記述通り、本当に日本人離れしたカッコイイ人だね。花子さん、一目惚れだったのかなぁ…フフフ。

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二人が交わしたラブレターも公開!これは花子さんから蜆・Oさんに宛てたお手紙なんだけど、残念!達筆すぎて読めません。でも心配しないでね、側に書き下し文があります(笑)

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ドラマには出てこないけれど、蜆・Oさんの福音印刷合資会社(創業者は父の村岡平吉氏)は、日本で聖書や賛美歌、キリスト教関係の書物の印刷・製本などを行っていた会社で、平吉氏は「バイブルの村岡」と呼ばれた人だったそうです。この開いてある聖書辞典には、「ミスター・ムラオカヘ」と(もちろん英語で)ヘボン博士の直筆のサインが入っているんだからスゴイ!その上は当時の横浜を描いた速水御舟の絵で、真ん中あたりに福音印刷の赤レンガ社屋が見えるらしいよ。

というわけで、いよいよ花子さんと蜆・Oさんが出会いました!見どころ、読みどころいっぱいなので、ぜひ見に来てね~。

それではみなさん、今日はここまで。ごきげんよう、さようなら。