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内容詳細

宣教師が直面した最大の障害

16、17世紀、日本や中国では、離婚や支配階級の蓄妾制度が社会的に合法であった。婚姻をサクラメント(秘跡)として単一性と不解消性を説くカトリック教会の教理は、新しい布教地にどのように伝わり、どんな摩擦を引き起こしたのか。価値観の相克による問題に、宣教師たちがいかなる解決策を試み、宣教の糸口を見出したのか。布教地の社会的事情との関連に比重を置いて探求した先駆的研究。

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書評

宣教師が直面した最大の障害

小山幸伸

 本書は、「キリシタン時代」と呼ばれる約一世紀の間に、イエズス会を中心としたカトリック勢力が行った布教活動の歴史を研究したものである。そこでは、日本や中国で布教する上において重要な課題であった婚姻問題が取り上げられている。

 カトリック世界において、婚姻は単一性と不解消性が重要視される。しかるに当時の日本や中国では、離婚・再婚はもちろん妾を持つ行為も特段珍しいことではなかった。この時代の日本布教をリードしたイエズス会は、「上からの改宗」を布教方針としていたが、日本の社会でも、とりわけ上層階級に位置する人々ほど、これらの行為を当然のことと受け止めており、最初の婚姻に立ち戻ることなど到底不可能な社会であった。したがって何らかの「特免」を想定するほか、この難問を解決して改宗事業を展開することはできなかったのである。

 このような困難な改宗事業を担った宣教師たち、とりわけ巡察師であったヴァリニャーノにとっては、婚姻問題こそは、布教上の課題の第一位に位置付けられていたようである。彼の行った諮問の最初に婚姻問題が位置していることからも、そのことが窺える。因みに私の研究分野である「高利」の問題も取り上げられており、「殺人」・「戦争と捕虜」・「偶像崇拝および迷信」などとともに「良心問題」として位置づけられていることを、本書により興味深く学んだ。これまで「高利」による商業活動を自明のことと捉えて、あくまでも日本経済史の一環として研究してきたのであるが、安氏の研究から、「高利」問題に対する視野が広がった。

 日本社会における離婚や再婚あるいは妾を持つ行為は、あまりに自明のことであるため、単なる「事実」として日本史研究者にとっても見過ごしがちな側面もあったのではなかろうか。

 NHKの大河ドラマではないが、浅井長政の三女「江」が、三度も結婚していることを知ったとしても、そこから「良心問題」として婚姻のことを問題視することなど思いもしなかった。また、その義父である徳川家康には築山殿や朝日姫などの正室がいたほかに、お亀の方やお万の方など愛妾が多数おり、愛妾との間に生まれた子供が徳川御三家を形成した。こんな話を聞いても、特段婚姻をどう考えていたのか、あるいは外国人の目にどう映ったのか、という疑問は湧いてこなかった。その点では、本書により「鏡に映った日本の社会」を見せられた気がする。

 この時代は、いわゆる大航海時代の余波が東アジアに及ぶ時期であり、ヨーロッパの文明が東アジアの文明と出会うことで、さまざまな文化摩擦が展開した時代でもあった。それゆえに、「婚姻」という人類の普遍的な問題が、異なる地域において摩擦要因になりうることを取り上げた本書は、実証的な歴史研究書であると同時に、比較文化論の研究書としても楽しく読めるものである。またその対象地域を日本と中国としたことで、同時代の両社会の相違点についても比較しうるのである。

 離婚や再婚を肯定的に評価するつもりはないが、それらを意に介さない日本の社会は、ある意味で「おおらかな社会」であったとも言えるだろう。そのような日本の社会に対し、本書を契機に「鏡に映った日本」を意識した社会史研究が進展していくことであろう。また日本社会における女性の立場から、同様の問題を捉えなおす研究にも寄与することと思われる。

 このような問題にメスを入れられた安廷苑氏の研究は、布教史における婚姻問題という先行研究の少ない分野を切り拓いたというだけではなく、国内史プロパーたちにも刺激的な内容となっている。そのような新しい視点からの歴史研究の誕生に立ち会えたことは、誠に喜びに堪えないことである。

(こやま・ゆきのぶ=敬愛大学経済学部教授)

『本のひろば』(2013年5月号)より